写本の書体

中世イングランドの装飾写本の書体、特にチョーサーのエレズミア写本(the Ellesmere MS)の書体を中心に見てゆきます。

‘Whan that April with his shoures soote’ で始まる「総序」の冒頭のページ

『カンタベリー物語』の「総序」の冒頭の部分です。およそ600年前に制作された写本ですが、装飾の美しさは変わることなく輝いており、見る者を魅了します。テクストの部分はゴールインクであるため、空気に触れる機会が多いページは時間とともに濃い紺色からタンニンの茶色に退色します。ここではテクストそのものが600年という時間の経過を物語っています。

最初の18行をもう少し詳しく見てみましょう。テクストは当時イングランドで使われていた Anglicana formata と呼ばれる書体で書かれています。これは13世紀以降ヨーロッパで一般的に使われていた Gothic littera bastarda をイングランドの写字生が英語の綴りに合うように改良(?)したものであると言われています。

以下の Gothic littera bastarda の書体と上のテクストの書体を比較してみましょう。まずはGothic littera bastarda の書体です。

下線を利用して筆順を練習することができます。a, b, c, d, e までは 2 ストローク、f, g は3ストロークで書く手順が示してあります。同じように確認してみてください。

テクスト1行目の最後の4語は with his shoures soote ですが、Anglicana formata は明らかに Gothic littera bastarda を描きやすい形に改めていることが分かると思います。この書体がチョーサーのエレズミア写本で使われていました。チョーサーとほぼ同時代の作家 W.ラングランドの Piers Plowman という作品の写本でもこの Anglicana formata が使われています。

上の18行を現代英語の綴りで転写してみると、写本のテクストには書体だけではなく別の問題も含まれていることが分かります。省略筆記法です。4行目の3番目の語(4/3), 5/4,13/2, 18/6の4つの単語は特殊な書き方がなされています。それぞれ vertu, with, palmeres, that となります。これらの他にも中世の写本にはたくさんの略記法が使われています。ラテン語の慣習を引き継いだ筆記法で、貴重で高価な羊皮紙のスペースを大切に使うための工夫だったのかもしれません。参考までに、Anglicana formata 書体が使われているラングランドの Piers Plowman (農夫ピアズ)の写本の例を載せておきますので、チョーサーのエレズミア写本と書体を比べてみてください。

1 行目は ‘In sommer sesoun / whan softe was the sunne’ ですが、sommer, sesoun, sunne のボールドの部分が略号で書かれています。因みに、現代英語では summer ですが、写本では sommer となっています。minim(ミニム)と云って縦ストロークが連続する綴りの時はしばしば “ー'” を区別したい文字の上に書き入れました。u → o に変化する原因となり、現代英語の綴りと発音の不一致の一因となっています。

2019年3月以来中断していた写本の制作再開にあたって、本番前の練習を兼ねて書いた零葉の1ページです。参考までに載せておきます。

これは「The Wife of Bath’s Tale」(ll. 1117~1132) の部分です。まだ金箔も装飾も施していませんが、テクストを読む練習ができるかと思います。
これは2年ぶりに制作を再開した写本のページです。テクストを描くときはとても神経を使いますので、1ページ書き終るとへとへとになります。中世の写字生は日々写本制作を仕事にしていたわけですから、写本を制作するということがいかに大変な仕事であるか、その苦労がしみじみわかります。
このページは2019年3月3日と3月27日に書かれていますが、その後ほぼ2年間中断していました。この続きを延々と書いてから、ページごとに金箔と装飾を施すことになりますが、まだ60ページほど残っています。

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